比叡山の小林隆彰さんのお言葉です。とても良い内容でしたので
皆さんにもご紹介させて頂きます・・・。
朝夕、仏前で、大震災のために生命を落とされた人びとの無念を想いながらひたすらご冥福を祈り、再び人間界へ生まれて来られることを祈る毎日です。さて、今から2500年の昔、お釈迦さまが天上界から人間界の姿をご覧になり、人間界こそが私の行くべきところ、と決められて、母・摩耶夫人の体内に宿られたと仏伝は伝えています。「なぜ、人間界に」と問うと、お釈迦さまは「人間ほど素晴らしく、かつ、人間ほど恐ろしい生き物は他にない。殺し合い、嘘、偽り、戦争、そして地球そのものまでも破壊するような恐ろしいこともやるが、生命がけで他のために尽くす。反省する。話せばわかる。人間とは計り知れぬ可能性がある。私は人間界に生まれて、人間のため、すべての生きもののために、いのちの尊さを説こう。他のために尽くすことを教えよう。そして、生命はこの世だけのものではない。明日が必ずあるように、来世も実在することを教えよう」。「人は死ねばそれで終わりではない。子孫に生命の血を伝えるとともに、心〔魂〕は次の世界で肉体を得て再生する。明日を見たことが無いけれども必ず実在するように。死は生の始め、生は死への出発点だから現在を大切に生き、縁が尽きれば次の世界へ生まれる。だからこそ、現在〔今日〕を大切に、誰かのために、世間のため、しっかり得難い人間界を生き抜きなさい」と説諭されました。8月15日、お盆を迎えるとき、日本人の多くはお墓まいりをします。これは、先祖を想い、我が身の来し方、行く末を深く考える大切なときだからなのです。数年前、筆者は京都新聞社の依頼で、京都市立嵐山東小学校の6年生に1時間の授業をさせていただきました。私の授業は、「人間の心」についてでしたが、よく聞いてくれました。現代っ子は理解が早く感心したのでした。最後に質問は? と聞きますと、「先生、人間が死ねば次の世界はありますか」はい、あります。「見たことはありますか」君は、明日があると想いますか。「あります」見たことはありますか。「ありません」見た事が無くても明日があるように、死んでも次の世界がある。しっかり勉強して人びとのためになる人間になってください。そう答えて授業を終えたのでした。〔天台宗総合研究センター長〕
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