特に2日目に受講した「東日本大震災後の危機管理、被災園の体験から学ぶ」と題した研修は、身の引き締まる思いをしながら、岩手からお運び頂いた4名の同業者〔園長や事務長〕さん方のお話しを伺った。
"想定外"と言う言葉が、大津波や原発関連でよく使われているが、日頃から如何に、園の現状・園を取り巻く環境や、園を構成しているあらゆる現象等について、しっかり把握しておかないといけないか痛感させられた。
そして大勢の園児を預かる、すなわち大勢の"いのち"を預かると言うこの「保育園」と言う聖域が、どれだけ重大な責任を課せられた職場・職域であるのかを、改めて思い知らされる、体験者ならではの心揺さぶられるお話しばかりであった。
その日〔昨年3月11日〕、何時ものように「地震が発生しました。先生の指示に従って避難態勢をとって下さい・・・。」と、そんな放送から始まった。しかし何時もと違って大きな揺れが一向に治まらない。そればかりか今まで体験もした事のないような大揺れが、2分も3分も続く。
これは大変な事かも・・・と、全員を園庭に集め、かねての打ち合わせ通り第一避難所をめざし退避を始める。しかもかねてから恐れていた大津波も、間もなく視覚に入って来た。そこも危険だ!!と判断し、第二避難所に移動させる。そしてそこも安全でなく、急斜面の道路脇崖を、通行人〔避難者〕たちの協力を得ながら四つん這いになって這い上がる・・・。
保育士の一人が「他園に預けている自分の子どもを迎えに行って良いか?」と申し出て来た。とっさに"目の前の子どもの安全確保が第一でしょ。それはならぬ!!"と・・・。
その園児は、被害に遭い、ついに帰らぬ人となった・・・。
『それでも私は、自分の判断に間違いはなかったと思います。でも・・・ ・・・、一生・・・、私は、背負います・・・、と。』
本当に、申し上げる言葉もないですねぇ・・・。
一人の先生は『地震が発生し大津波警報が出てから、24分後に実際の津波は押し寄せて来た。24分もあればたいていは安全な場所に移動が可能だと思われるのに、あんな大きな被害が出た。何故だろうか? 傲慢さ・・・だと思う。人間の過信がそうさせたのだ・・・と。
昔から"津波てんでんこ"と言う言葉が先人たちから残されていた。自分の生命の安全を確保してから他人の事を考えよ・・・と。自分勝手になれと言うのではない。しかし自分の生命の安全も確保出来ないのに、他人の安全なんて生みっこないんだ・・・と。」
『http://tamutamu2011.kuronowish.com/tunamitenndeko.htm』
本当に、色々と考えさせられるお話しばかりであった。
亀岡は盆地・・・、大津波の心配はないかも知れない。しかしどんな災害が起こるのか? それは誰にも判らない。判らない中でも、職員同士が、あるいは職員の家族を含めて、何かがあった時の対応は斯く斯く然々である・・・と、そんな同意を取り付けておく事は本当に大切だナァとしみじみ思った。
職員のみならず、地元の、町の人々も含めて、そんな共通の想いを共有出来たら、なお有り難いナァ・・・と。
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